昭和41年4月8日 出生
三代続く、洋食屋の3代目として生まれる。幼いときより、洋食屋で働く両親の姿を見て育ち、自然と「将来は料理人に!」という気概が養われた。洋食屋ということもあり、「和」よりも「洋」の世界への興味が惹かれたのは今から思えば当然のことであった。
昭和63年 ホテルオークラ入門
料理の世界を志したが、実家の家業ではなく「外」の世界で技術・精神を身に付けようと下働きから始めた。当時の業界は凄まじく、1日20時間労働もあったという。また上下関係も厳しく、社会で身につけるべき「常識」を叩き込まれた時期であった。この時は「パン屋」になりたいというよりもただ漠然と、「料理人になりたい」という思いが強かった。
昭和64年〜平成6年末 東京プリンスホテル入門
籍は東京プリンスホテルにあった。ただ、当時は年の半分を地方参り(地方のプリンスホテルで修行)という流れがあり、軽井沢・大磯・苗場・志賀高原・大津などのプリンスホテルで調理を経験。様々な土地の人々と会い、会話し、改めて料理の奥深さを知る。
この時期に、「洋」の世界を探求し、特に「ソース」にこだわりを持つようになる。
平成6年末 木村家ペストリー・ショップに入社
これまでの経験を活かし、木村家ペストリー・ショップに入社。3代目内田豊二に師事。これまで培ってきた技術に自負もあったが、明治43年から続く一子相伝の「技」に脱帽。歴史の重みを感じ感銘。3代目と共に、新たな「木村家」の「味」を追求する毎日を過ごす。この時、サンドウィッチレシピを150種類以上開発。現在でも、「三代目の技術が全て」と思えるほど、内田秀司の中で「存在」は大きい。
なお、築地名物「罌粟あんぱん」も、3代目が「皮」にビールホップを加えるという斬新な手法で完成させた。
平成10年 木村家ペストリー・ショップ 代表取締役 代行就任
3代目内田豊二がこの頃から病をわずらい、「代表取締役 代行」に就任。3代目が見守る中、技術以外に「経営」についての基礎を学ぶ。
平成11年 木村家ペストリー・ショップ 代表取締役に就任
約1年の代行期間を終え、正式に「4代目窯元」に就任。創業明治43年という歴史を受け継ぐことに、震えを覚えたと率直に語る。
平成11年 8月3日 三代目 内田豊二永眠
人生の「師」を病で失う。あの世で胸を張って「親父」と再会できるように生きていくことを決意
平成14年 「あんぱんの神様」を目指す!
木村家ペストリー・ショップとは何ぞや!?という原点に立ち返った時、「あんぱんを追求していく」という道しかありえないことに気づく。ならば、「あんぱんの神様」と呼ばれるような企業になろうと様々なレパートリーのあんぱんを開発。以降、現在にいたる。
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