私が敬愛する3代目 内田豊二が過去、話してくれた内容をもとに昔語りをさせてもらいます。できるだけ、3代目の言った言葉通りに説明してございますのでお読みにくい点もあるかとは存じますが、どうぞお付き合いください。
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| 4代目窯元 内田 秀司 |
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「私の祖父は九州の小倉の近くを流れる遠賀川の小さな村で生まれたと聞いています。子供のときから勉強ができたようで、村の神社の神主さんに『お前は東京ででなさい』といわれたそうです。東京へ出てから、銀行員や学校の先生、それから銀座の洋服店で会計を務めていたそうですが、子供が多く勤め人ではとても生活が大変なので、家で祖母にパンを仕入れて売らせていたそうです」 3代目 内田豊二語る。
【解説】
築地木村家初代 内田永吉は明治10年ころ、九州から上京した。東海道線が東京―大阪間、全線開通したのは明治22年。当時は東京へ行くといっても大変な旅であった。九州から大阪まで船で渡り、それから徒歩と馬で上京したのだろうと思われる。
初代は上京して、勤め先の並びにあった、現在の銀座木村屋総本店にヒントをえて『パン店』は、これからはいいかもしれないと、副業として始めたという。
その副業がだんだんと忙しくなり、やがて「本業」となったのだから世の中は不思議なものである。
当時の築地は外国人の居留地で築地明石町などは、ハイカラな町であった。外国人の住むおしゃれな街で現在の様相とは大きく違ったという。
ちなみに、築地は本願寺が江戸時代に、幕府からここの土地を与えられ、寺を建立した。そのとき佃島の信徒が土砂を運んで土地を造成したことから『築地』と呼ばれるようになった。
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「私の父が経営して時代に関東大震災があり、建て直しました。それから戦争がはじまってパンの材料は配給に。当時は思うようにパンなんか作れませんでしたよね。空襲で銀座まで全部焼けましたが、築地は焼けずに残ったんです。米軍は、進駐してから聖路加病院を接収する目的で、病院の付近は爆撃せずに残したんだそうです。おかげで戦火に遭わずにすみました。だからこのテイストの店舗が残っているんですよ。」
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| 3代目 内田豊二語る。 |
【解説】
戦前から戦後に至る時代の流れに築地木村家も流されてきた。それまでは「あんパン」が特色ある売り物だったが、戦後アメリカ文化が入ってくることにより生活・文化も変わっていき、若い人をはじめ日本人の食生活が変わってくると予測された。そこでアメリカ人の先生に頼んでパンの作り方を改めて学んだという。しかし、昔ながらの「あんパン」はすたれなかった。やはり日本人の好みにあっていたのだろうと述懐する。
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築地名物けしあんぱん誕生
「代々続く木村家の『あんパン』を再度見直してみようと、いろいろ研究しました。銀座の木村屋総本店は酒種を使っています。そこで、酵母を徹底的に研究し酒種に変わる「ビールホップ」を使って現在に至る「築地名物けしあんぱん」を誕生させました。ビールホップを使うと皮が軽くサクッとした食感を得られるので、さらにその強みを強調しようと「けしの実」と使い香ばしく仕上げました。また餡には北海道十勝産の小豆を使用し上白糖、三温糖、水飴を使って完成させました。」
【解説】
木村「屋」と木村「家」の違いですが、木村屋の親戚や特別な縁故者には「屋」の称号を、その他の者は「木村屋一家」を意味する「家」の称号が与えられたと言う。
当然、築地木村家は銀座木村屋総本店の「分家」という立場になる。
ペストリー(クッキー類)強化
「昭和20年代後半、あんぱんの他にも強化すべきアイテムをと考えアメリカから本を取り寄せました。それはクッキーのつくりかたの本でした。当時、私の友人にペストリー(クッキー)を知っているかと聞いても『なにそれ!?』というぐらいのものでした。まだ戦後まもなかったからですね。」
【解説】
研究を重ねて売り出したペストリー(クッキー)は好評で、現在でも売られつづけている。総レシピ数は200アイテムを超え、築地界隈の常連様がたに愛されている。
サンドウィッチ強化
「築地に『すし』があるなら、サンドウィッチを『西洋すし』だとし力を入れました。都内の一流のホテルを歩き回り研究を重ねました。都内だけではなく、当時西洋人が多くいた神戸などにも行きました。当時、喫茶店などのサンドウィッチはどこも決まりきったものでしたので、それだけうちが力を入れれば差別化できると考えたんです。そして、その中でこだわりを持ったのが『ピクルス』。ピクルスは日本人でいう『おしんこ』のような役割を西洋料理の中で演じています。しかし、輸入物のピクルスは日本人の口には合いませんでした。そこで、ここ築地は築地市場に近いので新鮮な果物や野菜が入りますから自家製を思い立ったのです。」
【解説】
3代目が開発したサンドウィッチレシピは150種類以上を超える。現在でも自家製のピクルスはりんご、セロリ、カボチャなどの原料をもとに築地木村家2階で瓶詰めされている。また、周辺企業へのデリバリーも好評で毎年、新年会・納会に大皿をご注文いただく御得意様もいらっしゃる。
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| 創業から90年以上たった、 2003年5月29日に築地場外市場に2号店をオープン。さらに現在、移動販売車事業にも参入し、「築地名物けしあんぱん」を通じて多くの方々に「ちょっとした幸せ気分」を味わってもらおうと、小さいけど大きな夢を持って営業中。4代目窯元の目標は「100年後も築地名物けしあんぱん」がお客様に愛されること・・・。 |
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